2008年05月02日

イギリスの歴史背景

このようにイギリスは大きく成長していったのですね。

1066年にウィリアム征服王(William the Conqueror)がイングランドを制圧し、大陸の進んだ封建制を導入し、王国の体制を整えていった。人口、経済力に勝るイングランドがウェールズ、スコットランドを圧倒していった。

1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれ、1536年には正式に併合した。1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成、1707年のスコットランド合併法(1707年連合法)により、イングランドとスコットランドは合併しグレートブリテン王国となった。さらに1801年のアイルランド合併法(1800年連合法)によりグレートブリテン王国はアイルランド王国を併合し、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国となった。1922年に北部6州(北アイルランド;アルスター9州の中の6州)を除く26州が、アイルランド自由国として独立した。1927年に現在の名称であるグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国へと改名した。

イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握って世界中を侵略し、カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような搾取を繰り広げイギリス帝国を建設した。しかしイギリスの世界覇権は第一次世界大戦までで、二度の大戦を経てその後はアメリカが強大国として台頭する。

第二次世界大戦直後、労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げたが、階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「イギリス病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。

1980年代にマーガレット・サッチャー首相が経済再建のために急進的な構造改革(民営化・行政改革・規制緩和)を実施し、大量の失業者を出した。地方経済は不振を極めたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。1990年代、政権は保守党から労働党のトニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正した第三の道への路線に進むことになった。このころからイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべくクール・ブリタニアと言われるイメージ戦略、文化政策に力が入れられるようになった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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